ちっぷが生きている時に書こうと思ったことはありましたが、如何にも筆不精なところがありまして。
元から体力がないところもあって、出来ませんでした(^ω^)というのは言い訳で、余裕がいろんな意味でありませんでした。
なのに、今更始めるのは自分でも不思議で。
ちっぷは、二回倒れています。
その時の疲れが尾を引いたところもあります。その時から、本当に亡くなる日が来ることを意識しました。
あの頃は、考えるだけで涙が溢れ、同じ死因で私も逝きたい、などといったことも考えたり…。泣き崩れて、憔悴して、食べれなくなって、そうなると思っていたのに、ちっぷが亡くなって三日目に泣く回数も減り、四日目に日記を書き始めています。
冷たいように思えます。
後悔も沢山ありますが、何故でしょうか。
前に遠くに住んでいる姉が、こう言っていました。
「ちっぷは家族に合わせて、少しずつ少しずつ様子を見ながら衰弱しているね。
もう大丈夫かな?まだダメかな?」
何て、飼い主の様子を見つめながら私に心の準備をする時間を与えてくれたように思えます。
私の家は、裕福でもありませんし、家族も仲良くありませんし…(^^)
ただ、いつからか、ちっぷが関わると団結するようになっていました。
父も、ちっぷが倒れた時に駆けつけ、火葬の時には泣いていました。
不安定な家族の中で、ちっぷも息苦しい時期があったと思います。
素晴らしい獣医師さんに出逢えて、
本当にちっぷが大切だと母も、私も思えた時に、家の空気が少し変わったように思えます。
私にとって、本当に特別な子です。
幼い時から一緒にいたということもありますが、私にいろんなきっかけをくれた子でもあるので。
奇跡だとか、運命とか、あやふやな単語では表せられないほど、私にとって必要不可欠な存在です。
悲しいし、ふいに尋常ではない程に苦しくなります。涙も溢れます。
急に堪え切れない何かに襲われて、
どうにかなってしまいそうで、
けれど、悲しみを凌駕するほどに、
出逢えて良かった、ありがとう。
そう思える自分がいるのです。
愛犬と飼い主の数だけ形も違って、
胸の痛みの速度も変わってくるんだと思います。
ペットロスという言葉がありますが、きっとなって当たり前のように思えます。
ただ、私はちっぷが生きている時にちっぷと約束していたので。
自暴自棄にならない。ちっぷの死を無駄にしないと。…自分に言い聞かせている節もあるんですが、それでも、ちっぷがくれた日々を無為にしたくないという気持ちも本当です。
これから、この後が、ちっぷがくれた日々への答えになっていくのでは、
そう考えるようにしています。
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